こんにちは!今回は第91回目になります!
今回は、「ラクロス部で少し頑張れた時の話」を書きたいと思います。
僕は大学時代ラクロス部に所属していました。
何度かこのブログで書いているのですが、僕は4年間ずっと下手くそでした。
引退試合もスタンドからでした。
自分が下手だった理由は、努力不足。ただそれだけです。
サボることばっかり考えて練習していました。
でも少し頑張れた時期があるので、今回はその時の話をしたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
自己満期間
先に、ラクロスを頑張っていなかった時期について話します。
ずっと練習が嫌いでした。
自主練や居残り練も、ほぼやっていませんでした。
当然、ラクロス部での実力は最下層。
でも、「毎日練習に行って、俺頑張ってるよね、、、」という自己満だけはありましたね。
確かに毎朝5時半に起きて、キツイ練習はこなしているわけで、大変なことは間違いないですけど。
でも、それはみんな当たり前にこなしていましたから。
人よりも努力しなきゃ、上手くなれないのは当たり前ですね。
ラクロスを少し頑張れたきっかけ
そんな自己満期間から脱するのは3年生が終わってから。
4年間の大学ラクロス生活の中では、遅すぎてこれが致命傷になるのですが、今回の話では置いときます。
頑張れたきっかけは2つあります。
1個上の先輩の引退試合
1つ目が1個上の先輩の引退試合。
これが本当にかっこよかった。
詳細は割愛しますが、スタンドの外から見ていた僕は、本当に感動しました。
僕らの同期も出場していましたが、先輩の覇気が凄かった。
来年は「何としてでも試合に出たい」という気持ちに切り替わりました。
同期からの応援
その試合がきっかけで、本気で頑張ろうと気持ちを切り替えました。
今まで集合時間ギリギリに行っていましたが、それも止めました。
そんな姿勢は、周りにも伝わったようです。
ある日の練習後、コーチに相談に行きました。
何の相談でかは忘れましたが、コーチと2人きりで話したんですよね。
その時に言われたことが3つ。
- 頑張っている姿を主将が喜んでいること
- 彼はリーグ戦に一緒に出たいと言っていること
- その思いに応えて欲しいということ
これが転機になりました。
初めて期待されたから、泣いちゃいましたね。
今でもあの場面は強烈に覚えています。
あの日は本当に嬉しかったな。
メンタルの変化
その日以来、嫌いだった自主練も頑張るようになりました。
意外なことに、自主練も嫌じゃなくなりました。
というよりも、「おっ、俺頑張ってるじゃん!えらいなー」なんて思えたりして。
頑張っている自分が好きになりました。
今までの自己満とは違う感じでしたね。
「充分頑張っているけど、もっと頑張ろう!」なんて前向きに思えたりして。
僕は「努力は夢中に勝てない」という言葉が好きなんですけど、まさにそんな感じ。
夢中になって、練習していました。
自信に繋がる経験
そんな状態も長く続かず、ボタンを掛け違えたように失速していきます。
このことによる後悔や懺悔は山ほどあるのですが、今回は置いておきます。
今回の自分が少し頑張っていた時期。
この期間にだけ限定して言わせてもらうと、みんなよりも練習していたと思います。
先輩後輩含めて、ラクロス部で4年間関わった人は、全員努力家です。
みんな尊敬しています。
その中で、少しの期間だけでしたが、みんなより少し頑張れたことは自信になりました。
「自分は頑張れる人間なんだな」と思えるようになりました。
これが今でも心の支えになっています。
最後に
今回は「ラクロス部で少し頑張れた時の話」といったテーマで書きました。
本当は、“精一杯頑張った”とか“死ぬほど頑張った”と書きたいところですが、みんなと比べると恐れ多いです。
なので、“少し頑張った”にしています。
冒頭で伝えた通り、最終的にはスタンドで引退してしまいました。
引退してからしばらくは、何も残せなかったな、という虚無感でいっぱいでした。
でも、9年経って振り返ってみると、ハイライトは引退試合だけじゃないことに気づきました。
僕にとってのハイライトは、間違いなくあの時期です。
“頑張れる自分”を見つけられたこと。
後悔だらけの大学ラクロスですけど、大切なことを見つけられました。
大学ラクロス全体の話は、以下の記事で詳細を書いています。
こちらもぜひご覧ください。
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