こんにちは!今回は第110回目になります!
今回は、「東日本大震災の体験談」を書きたいと思います。
今から12年前、東日本大震災が起こりました。
甚大な被害を被った方も、数多くいらっしゃると思います。
そんな中で、大きな被害を受けなかった僕が、この話題をブログに書くのに抵抗はありました。
だけど、僕なりに日常の変化もありましたし、震災当日の話は、忘れることが出来ません。
もし良ければ、最後までご覧ください。
東日本大震災体験談|地震発生時
僕は震災当時、大学1年生でした。
3月11日は、ちょうど春休みでしたね。
僕は当時ラクロス部に所属していたので、その日は杉並区(東京)にある大学のグランドで練習していました。
地震が起きたのは、14時46分。
練習が終わり、筋トレをしていました。
その筋トレが終わって、ちょうど筋トレルームから出た時に、大きな揺れを感じました。
「あれ、今回のは結構デカいぞ」
「おいおい大丈夫か…?」
「えっ、お前この揺れ気づかないんか?やばいぞ!」
なんて、一緒に筋トレルームから出た友人と話していました。
だけど、その瞬間は、まさかこんな被害を出す地震だなんて、思いもよらなかったですね。
そのあとは、「今回のはちょっと大きかったねー」なんて言いながら、日常に戻っていました。
何もなかったように帰り支度を済ませ、駅に向かいました。
東日本大震災体験談|電車が止まってた
大学の最寄り駅まで着くと電車が止まっていました。
2011年当時、スマホやSNSもそれほど普及していなくて、状況を全然掴んでいなかったですね。
電車は待ってたら動くだろうと思って、駅前のマクドナルドで待機していました。
でも、全然動かん、、、
痺れを切らして、「カラオケでも行く?」と呑気に言っていました。
実際、行きました。
2時間くらい過ごして、駅に向かうと、電車はまだ動いていない。
やれやれ、困りました。
そんな時、後ろから声を掛けられました。。
「今日は電車動かないっぽいよ!」
振り返るとラクロス部の先輩がいました。
東日本大震災体験談|女子寮に泊まる
「お前ら、今日電車動かないけど、どうするの?」
今の今まで呑気にカラオケに行っていた僕と友人は、びっくり。
もちろん、ノープラン。
「えーと、、、どうしましょう??」
逆質問してました。
「ハハハ、それならウチ来るか?」
先輩は、家に帰れない部員を探して歩き回っていたそうです。
優しすぎる!!!
「いいんですか?ありがとうございます!」
不安に駆られていた僕らは、ありがたくお言葉に甘えさせていただきました。
家に向かう途中、衝撃の事実を伝えられました。
「まあ、俺の家じゃないんだけどね。彼女の家で、女子寮だから」
19歳の僕がどんな気持ちになったかは、ご想像にお任せします。
東日本大震災体験談|先輩の彼女の家①
家に着くと、彼女さんは留守でした。
「まあテキトーにくつろいどいて。ゲームとかもあるし」
まるで、自分の家のように、もてなしてくれる先輩。
「あ、すみません」とか言いつつも、ゲームを始める僕ら。
地震のことは忘れて、ゲームに夢中になっていました。
「俺ちょっと大学の方見てくるわ!」と、再びパトロールしようとする先輩。
ん?
当時、通信はパンクしていて、メールも電話もつながらない状況でした。
そして、SNSは普及していない。
当然、彼女さんは、僕らがいることは知らない。
「えっと、、、彼女さん帰ってきたら、まずくないですか?」と、尋ねると、
「あ、大丈夫、大丈夫。じゃ、行ってくるねー」
パタンと扉を閉められ、部屋に僕と友人の二人だけが取り残されました。
あの時の先輩のニヤニヤ顔、今でも覚えています。
あの顔、確信犯ですよね?
東日本大震災体験談|先輩の彼女の家②
部屋に友人と共に取り残されました。
やれることとしては、ゲームの続きくらい。
どうしようもなかったので、ゲームを続行しました。
しばらくすると、“ガチャ“という音が聞こえました。
そして、玄関の扉の向こうには、「ゲンちゃん(先輩の名前)…?」と、か細い声で尋ねる女性がいました。
はい、僕らはゲンちゃんではありません。
すみません!本当に失礼しています。
本当にすみません!
彼女さんに、事情を説明するとともに、全力で怪しいものではないことをお伝えしました。
あとから聞いた話では、彼女さんの方は渋谷にいたようです。
もちろん、電車は動かなかったため、2時間かけて歩いて帰ってきたそうです。
疲れ切って帰ってきたら、見知らぬ男2人が部屋でゲームしていた。
僕だったら発狂しています。
東日本大震災体験談|先輩の彼女の家③
しばらくすると先輩が帰ってきました。
ゲームにも飽きてきてテレビを見ると、本当に凄まじい映像が流れてきました。
「家が千葉の方だから、心配なんだよね、、、」なんて彼女さんは言っていました。
あの日、「せっかくだからワイワイしようぜ」なんてことは一切なく、早く寝ました。
全員が、これからどうなるのか?そんな不安に苛まれながら、眠りについたと思います。
翌朝になったら、電車は動いていたので、自宅に帰りました。
2011.3.11当日の話は、以上です。
あの日、みなさん、それぞれいつもとは違う過ごし方をしたと思います。
僕は、こんな1日でした。
東日本大震災体験談|その後
その後ですが、放射能の危険性から、しばらく部活動が禁止になりました。
それと、新たに始めたのがSNS。
当時、通信がパンクしていて電話もメールも使えなかったのですが、SNSは機能していたようです。
部員全員に、FacebookとTwitterを開設命令が下されました。
そして、先輩やコーチらと相互フォローするように強制されました。
迂闊に発言できないSNSの誕生です(SNS炎上を考えると、今思えばこれでよかった)
あの日を境に、色々と状況が変わりましたね。
僕は大きな被害はなかったものの、日常が変化したことをはっきりと感じました。
最後に
震災が起きてから、12年。
甚大な被害があったことは、僕が言うまでもないでしょう。
それでも、みなさん地震のこと、ついつい忘れてしまいませんか。
会社の同僚がこんなことを決めているようです。
『防災グッズを3月11日に年1回見直す』
年に1回くらい、そんな活動をしてみてもいいかもしれませんね。
僕も今日、自宅にある防災グッズを点検しようと思います。
また、以下の記事では、同じ体験談として、明治神宮で年越した日のことを書いています。
もしよければ、あわせてご覧ください。
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